スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

戦争を知らない私だけれど・・・NHK高橋圭三「私の秘密」と人間魚雷回天

土曜日は半ドン

IMGP0409_convert_20120421113816.jpg

IMGP0410_convert_20120421113647.jpg

s28年生まれの私が 学校に通っていた頃 休日は日曜日のみ 土曜日は午前中で授業が終わり

運動場で終礼の後 通学班ごとに一年から六年まで並んで下校した。

町並みを見下ろす大門坂を ランドセルを鳴らしながら一気に掛け降りると

埃っぽい真昼の日差しの中ですれ違う オート三輪車もオートバイも おばさん達の割烹着の白も

活気に満ち 輝いていたのは 半ドンならではの解放感!待ちに待った土曜日!


「半ドン」半ドンとは 半は半分の意味 ドンはドンタクの略 オランダ語のZondagに由来する。
     土曜日は 半日が休みなので 半ドンと呼ばれる様になった。
 
     (もう一つの説) 明治~太平洋戦争の頃まで 正午に空砲を撃つ地域が有り
     半日経った時間に「ドン」と撃つから「半ドン」
                        「語源由来辞典」より引用

IMGP4342_convert_20120111160348.jpg




戦争を知らない私だけれど・・・NHK高橋圭三「私の秘密」と特攻隊回天
 
 
s34年我が家にもテレビがやって来た。写ってるのは下の妹「テベリ」ってな! 
IMGP0216_convert_20120419222754.jpg

当時は 家族そろって テレビを楽しんだ。 夕飯の後 おじいちゃん お父さん 妹達と・・・

洗い物を済ませた おばあちゃん お母さん 早く早く・・始まるよ!


NHK高橋圭三司会「私の秘密」
IMGP0224_convert_20120420110500.jpg

高橋圭三司会の「私の秘密」
貴重な思い出や 珍しい体験を持っている 一般人が登場。 4人の回答者が 秘密の持ち主に
質問しながら当てる。 視聴者と会場の観客には「陰の声」で事前に内容を知らせた。
内幸町に完成したばかりのNHKホールからの 公開生放送。
(日本放送協会出版 テレビ番組の40年より引用)
 

 

いつもの様に 家族でテレビを囲んでいると・・・

登場したのは 黒いマントに身を包んだ 初老の婦人(服装がヒントにならない様 秘密の主は皆
マントを羽織っていた)

陰の声が知らせた その人の秘密とは・・・「私は 回天特攻隊で出撃して行った 若き兵士をお世話し


その内の7人の方の遺品を 今もお預かりしている 旅館の女将です。 ご家族の方に遺品を お渡ししたいと思い

出演いたしました」

「M雄じゃ」 「神戸のB家のM雄じゃ!」父と祖父が 同時に叫んだ。

 父のいとこは 正に 人間魚雷と呼ばれていた回天で出撃 戦死していたのだ。


解答者が 質問を繰り返しながら 次第に「秘密」が明らかになって来る・・・

固唾を飲んで 画面を見つめる・・・


女将が預かっている遺品が 並べて紹介され(衣類や手紙だったか?)

読み上げられた 持ち主の名前の中に 父のいとこの名前もあった。

「B M雄・・・あったぞ!」「M雄 M雄」大騒ぎになって

「B家も 見とるじゃろうか?」 「知らせてやらんと」

 神戸のB家に 連絡を取る事になった。

IMGP0214_convert_20120419222110.jpg

B家に電話が無く 電報を打った。(電話が有る家の方が 少なかったあの頃

急用を知らせる手段として 電報が使われた。)

その後 M雄の遺品は 無事B家に手渡された。 聞くと 我が家の電報が着く前に B家には 何処からか

知らせが届いていたそうだ。

小学校4年生の私にも 「特攻隊回天」が 深く刻まれた。


IMGP0226_convert_20120421112110.jpg

ところで 当時の電話 (ダイヤル式に替わる前の)掛け方は・・

右のつまみを 数回回し 受話器を取ると 交換台につながり「16番お願いします」などと

交換手に頼んで 相手方につないでもらう・・話のやり取りは 交換台に筒抜けだったと聞くけれど

本当だろうか? 此の電話 或る方に最近頂いた物・・それを 当時と同じ茶の間に置いて見た。

電話の置かれていた引き出しも当時そのまま(誰かのらくがきも)

家族が テレビを囲んだのも 此の四畳半の茶の間。


あの頃の 庶民にとって テレビは 珍しい話題や今迄届かなかった遠方のニュースを

見せてもらえる ありがたく画期的で・・床の間に飾っておきたくなるような存在だった。

そんなテレビのブラウン管に まさかまさか・・自分の親族に係る話題が映し出されるなんて!

祖父や父 祖母 母達 大人の 驚きと興奮は如何ばかりだったろうか。


戦時中の旧制中学生(記事の人物とは関係ありません)
IMGP1367_convert_20120419161057.jpg

若い人達に見せると「格好つけてる!」って言われそうだだけれど・・写真用のお決まりのポーズがあったのは

確か・・しかし それを差し引いても この時代の学生には ひたむきさや 誠実さが有ったように思える。

それは 写真だけでなく 彼らが残した手紙や 俳句など・・・そして教科書の覚書からも伺える。

あの頃 男子学生もたくさん手紙を書いた。 友達や両親ばかりか おじさんさんやおばさんにも。

今も祖母の箪笥に残る 手紙の束を読み返して・・戦争を知らない私の中に残るエピソードを

記録して置きたいと思った。



IMGP1135+1_convert_20120421113142.jpg


「あんたらあに(あなたたちに)わかりゃあせん」

祖母は おとなしく控え目で 声を荒げることのなかった人だけれど。

小6年の頃 学校で習った受け売りで

「戦争を始めた 日本が悪いんじゃ!」と口走った私に 思いがけず強い口調の言葉が返ってきた。

それっきり ただそれだけだったけれど・・ 大人しく穏やかに過ごす祖母の胸の内にも

さまざまな思いが渦巻いていたのだと 思う。


IMGP0222_convert_20120420110346.jpg

 
IMGP0218_convert_20120420110155.jpg
瀬戸内海徳山沖の大津島にあった 回天特別攻撃隊基地の発射場
グラフィックカラー日本史研秀出版社より引用)
 
 
数年前 呉市の「大和ミュージアム」で 回天の実物を見る機会があった。

これに乗り組んで突撃していった兵士の思いを想像してみたけれど・・実感が湧かなかった。

兵士の父母や友人が見たらどうだろう。  世代が替わって思いも薄れて行く。

NHKの朝ドラ「カーネーション」「梅ちゃん先生」を見ながら 祖父達の語っていた

戦争の面影を思い起こしている。 戦争を知らない私だけど。

 
 ランキングに参加しています。 お帰りの際には ポチッ押して下さいね!
にほんブログ村 ライフスタイルブログ 古民家暮らしへ
にほんブログ村

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村


人気ブログランキングへ

こちらも 宜しければ

ランキング参加中!

スポンサーサイト
プロフィール

つきあかり

Author:つきあかり
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
カウンター
フリーエリア
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。