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戦争を知らない私だけれど・・・NHK高橋圭三「私の秘密」と人間魚雷回天

土曜日は半ドン

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s28年生まれの私が 学校に通っていた頃 休日は日曜日のみ 土曜日は午前中で授業が終わり

運動場で終礼の後 通学班ごとに一年から六年まで並んで下校した。

町並みを見下ろす大門坂を ランドセルを鳴らしながら一気に掛け降りると

埃っぽい真昼の日差しの中ですれ違う オート三輪車もオートバイも おばさん達の割烹着の白も

活気に満ち 輝いていたのは 半ドンならではの解放感!待ちに待った土曜日!


「半ドン」半ドンとは 半は半分の意味 ドンはドンタクの略 オランダ語のZondagに由来する。
     土曜日は 半日が休みなので 半ドンと呼ばれる様になった。
 
     (もう一つの説) 明治~太平洋戦争の頃まで 正午に空砲を撃つ地域が有り
     半日経った時間に「ドン」と撃つから「半ドン」
                        「語源由来辞典」より引用

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戦争を知らない私だけれど・・・NHK高橋圭三「私の秘密」と特攻隊回天
 
 
s34年我が家にもテレビがやって来た。写ってるのは下の妹「テベリ」ってな! 
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当時は 家族そろって テレビを楽しんだ。 夕飯の後 おじいちゃん お父さん 妹達と・・・

洗い物を済ませた おばあちゃん お母さん 早く早く・・始まるよ!


NHK高橋圭三司会「私の秘密」
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高橋圭三司会の「私の秘密」
貴重な思い出や 珍しい体験を持っている 一般人が登場。 4人の回答者が 秘密の持ち主に
質問しながら当てる。 視聴者と会場の観客には「陰の声」で事前に内容を知らせた。
内幸町に完成したばかりのNHKホールからの 公開生放送。
(日本放送協会出版 テレビ番組の40年より引用)
 

 

いつもの様に 家族でテレビを囲んでいると・・・

登場したのは 黒いマントに身を包んだ 初老の婦人(服装がヒントにならない様 秘密の主は皆
マントを羽織っていた)

陰の声が知らせた その人の秘密とは・・・「私は 回天特攻隊で出撃して行った 若き兵士をお世話し


その内の7人の方の遺品を 今もお預かりしている 旅館の女将です。 ご家族の方に遺品を お渡ししたいと思い

出演いたしました」

「M雄じゃ」 「神戸のB家のM雄じゃ!」父と祖父が 同時に叫んだ。

 父のいとこは 正に 人間魚雷と呼ばれていた回天で出撃 戦死していたのだ。


解答者が 質問を繰り返しながら 次第に「秘密」が明らかになって来る・・・

固唾を飲んで 画面を見つめる・・・


女将が預かっている遺品が 並べて紹介され(衣類や手紙だったか?)

読み上げられた 持ち主の名前の中に 父のいとこの名前もあった。

「B M雄・・・あったぞ!」「M雄 M雄」大騒ぎになって

「B家も 見とるじゃろうか?」 「知らせてやらんと」

 神戸のB家に 連絡を取る事になった。

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B家に電話が無く 電報を打った。(電話が有る家の方が 少なかったあの頃

急用を知らせる手段として 電報が使われた。)

その後 M雄の遺品は 無事B家に手渡された。 聞くと 我が家の電報が着く前に B家には 何処からか

知らせが届いていたそうだ。

小学校4年生の私にも 「特攻隊回天」が 深く刻まれた。


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ところで 当時の電話 (ダイヤル式に替わる前の)掛け方は・・

右のつまみを 数回回し 受話器を取ると 交換台につながり「16番お願いします」などと

交換手に頼んで 相手方につないでもらう・・話のやり取りは 交換台に筒抜けだったと聞くけれど

本当だろうか? 此の電話 或る方に最近頂いた物・・それを 当時と同じ茶の間に置いて見た。

電話の置かれていた引き出しも当時そのまま(誰かのらくがきも)

家族が テレビを囲んだのも 此の四畳半の茶の間。


あの頃の 庶民にとって テレビは 珍しい話題や今迄届かなかった遠方のニュースを

見せてもらえる ありがたく画期的で・・床の間に飾っておきたくなるような存在だった。

そんなテレビのブラウン管に まさかまさか・・自分の親族に係る話題が映し出されるなんて!

祖父や父 祖母 母達 大人の 驚きと興奮は如何ばかりだったろうか。


戦時中の旧制中学生(記事の人物とは関係ありません)
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若い人達に見せると「格好つけてる!」って言われそうだだけれど・・写真用のお決まりのポーズがあったのは

確か・・しかし それを差し引いても この時代の学生には ひたむきさや 誠実さが有ったように思える。

それは 写真だけでなく 彼らが残した手紙や 俳句など・・・そして教科書の覚書からも伺える。

あの頃 男子学生もたくさん手紙を書いた。 友達や両親ばかりか おじさんさんやおばさんにも。

今も祖母の箪笥に残る 手紙の束を読み返して・・戦争を知らない私の中に残るエピソードを

記録して置きたいと思った。



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「あんたらあに(あなたたちに)わかりゃあせん」

祖母は おとなしく控え目で 声を荒げることのなかった人だけれど。

小6年の頃 学校で習った受け売りで

「戦争を始めた 日本が悪いんじゃ!」と口走った私に 思いがけず強い口調の言葉が返ってきた。

それっきり ただそれだけだったけれど・・ 大人しく穏やかに過ごす祖母の胸の内にも

さまざまな思いが渦巻いていたのだと 思う。


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瀬戸内海徳山沖の大津島にあった 回天特別攻撃隊基地の発射場
グラフィックカラー日本史研秀出版社より引用)
 
 
数年前 呉市の「大和ミュージアム」で 回天の実物を見る機会があった。

これに乗り組んで突撃していった兵士の思いを想像してみたけれど・・実感が湧かなかった。

兵士の父母や友人が見たらどうだろう。  世代が替わって思いも薄れて行く。

NHKの朝ドラ「カーネーション」「梅ちゃん先生」を見ながら 祖父達の語っていた

戦争の面影を思い起こしている。 戦争を知らない私だけど。

 
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つきあかりさん半ドンの言葉に反応を(笑)

あんな事こんな事を昨日のように思える歳になります^^

明日から暑くなりそうです

No title

土曜日の午前授業って
とっても嬉しかったことを思い出しました。
詳しいことは知りませんが
今年からまた授業日数が増えて
土曜の授業が復活するところもあるとか。
今の子にしてみたらかったるいのでしょうね・・・

私など「戦争を知らない子供たちを知らない子供たち」に
あたるわけで・・・
こうして語り継ぐことは本当に大切だと思います。

団らん

確かに夕食後の団らんは家族そろってみるテレビ、
それもガチャガチャと音を立ててチャンネルをかえるテレビでしたね。
私一人夜起きていて「夢で逢いましょう」を毎週楽しみに見ていました。
昔はみんな早寝だったのでしょうね。

上田の無言館を訪れたり、むかしの学生の写真を見たりしていつも感じるのは
年齢は若くてもみな顔つき(たぶん考え方も)が今と違っておとなの顔をしているということでした。
今の人たちと何が違うのでしょうね。

No title

こんばんわ!

私も戦争を知らないのですが、
小さい頃から戦争が怖くて、授業で習ったり、広島の原爆ドームにいったりして知れば知るほど怖くなりました。
戦争はするもんじゃないですよ!


土曜日は半ドン!
高校までは土曜日は半ドンでした(^^)
あの朝からのウキウキ感、
午後からの自由な時間がすごく楽しみで、
学校の帰りにご飯食べたら空き地に集合とかよくしてました♪
うちの学校何故か、
土曜は給食は無いんですが牛乳だけ出てました(笑)

語り継がれなければならない…

私の祖父も兵隊へ行きました。無事生きて帰ることが出来て現在は元気に暮らしてます。
私が小学生、中学生の頃は祖父や祖母から戦争の話をよく聞いていました。戦争中のこと、捕虜に行ったときのこと、色々聞きました。
祖父は、夜中寝ているといきなり『タタタタタタッー!』と叫ぶことがありました。ビックリして祖父を見ると、その手はまるで鉄砲を撃っている様でした。戦争の夢を今でもみるんだな…一生消えない記憶なんだな…と幼いながらに思いました。
二度と尊い命が奪われないためにも、戦争は二度としてはならない!
語り継いでいかれなければならない記憶です!
ノーモアヒロシマ!ノーモアナガサキ!

おお・・・

半ドン・・・ 良い響きですね。
週休2日なんか止めて 土曜を半ドンにすれば・・・
街が賑やかになりそう!


戦争・・・ 
本当の事を 『あらゆる思想』 を省いて・・・
事実だけを坦々と知る事が出来れば良いんですけど・・・

学校等で聞いてきた事と
全く違う事があるのかも知れませんしね♪♫

No title

こんにちは。

亡くなった父は、飛行機乗りで特攻に出て、飛べなくなって帰って来れた人でした。
又、伯父は海軍で、シベリアにも抑留されました。
国を守る、父母、家族を守ると死んで行った人たちは、色々な意味で今の日本をどんな
思いでみるでしょうか?
正しい国の歴史を、学ばなければいけませんね。

「私の秘密」は、よく見ていましたよ。
あの頃の番組は、質が高かったと思います。

Re: ハツコさん 有難うございます

> つきあかりさん半ドンの言葉に反応を(笑)
>
> あんな事こんな事を昨日のように思える歳になります^^
>
> 明日から暑くなりそうです

半ドンのわくわく感 やたら休みが多くて ゆる~いいまの小学生には 解らん!(笑)で
しょうね~。 

あんずミャミャさん有難うございます

> 土曜日の午前授業って
> とっても嬉しかったことを思い出しました。
> 詳しいことは知りませんが
> 今年からまた授業日数が増えて
> 土曜の授業が復活するところもあるとか。
> 今の子にしてみたらかったるいのでしょうね・・・
>
> 私など「戦争を知らない子供たちを知らない子供たち」に
> あたるわけで・・・
> こうして語り継ぐことは本当に大切だと思います。


私の小学生の頃はまさに 高度経済成長にまっしぐら 木材の産地の月田も活気がありました。
子供達は 中学生も小学生もいっしょに遊んでいました。 

祖父達の 茶飲み話に「戦後」とか「戦時中」と言う言葉が よく 聞かれましたが・・ 振り返るより 明るい未来に向かって  みんな駆け出して行った・・そんな時代でした。
語り継ぐほどの 記憶も知識も有りません。切れ端の様なエピソードです。 

 


Re: kazさんありがとうございます

> 確かに夕食後の団らんは家族そろってみるテレビ、
> それもガチャガチャと音を立ててチャンネルをかえるテレビでしたね。
> 私一人夜起きていて「夢で逢いましょう」を毎週楽しみに見ていました。
> 昔はみんな早寝だったのでしょうね。
>
> 上田の無言館を訪れたり、むかしの学生の写真を見たりしていつも感じるのは
> 年齢は若くてもみな顔つき(たぶん考え方も)が今と違っておとなの顔をしているということでした。
> 今の人たちと何が違うのでしょうね。

「夢で逢いましょう」テーマ曲が 甦ります。(笑)
我が家は 「お笑い三人組」のファンでした。私は「月光仮面」「チロリン村とクルミの木」が楽しみでした。

上田の「無言館」 確か第二次世界大戦で戦死した 画学生の作品を展示してあるのですね。
訪れたことはありませんが NHKの「日曜美術館」で取り上げられていました。
久々に 古民家に戻ってみると 色々なことを思います。

りささんありがとうございます

> こんばんわ!
>
> 私も戦争を知らないのですが、
> 小さい頃から戦争が怖くて、授業で習ったり、広島の原爆ドームにいったりして知れば知るほど怖くなりました。
> 戦争はするもんじゃないですよ!
>
>
> 土曜日は半ドン!
> 高校までは土曜日は半ドンでした(^^)
> あの朝からのウキウキ感、
> 午後からの自由な時間がすごく楽しみで、
> 学校の帰りにご飯食べたら空き地に集合とかよくしてました♪
> うちの学校何故か、
> 土曜は給食は無いんですが牛乳だけ出てました(笑)

りささん 戦争が怖いって 実感できるのは 感受性が豊かなのですね。
私も 自分の息子が徴兵されるようなことになったら・・て思うと どんなことをしても 守りたいって思います。

私の頃は 土曜日は うどんとか 袋にいっぱい入ったクラッカー それに
脱脂粉乳でした。 評判悪い脱脂粉乳だけど 私は好きだったのです。
牛乳の匂いが嫌いで・・今でも飲むとおなかがゴロゴロして困ります。

Re: junjunさん有難うございます

> 私の祖父も兵隊へ行きました。無事生きて帰ることが出来て現在は元気に暮らしてます。
> 私が小学生、中学生の頃は祖父や祖母から戦争の話をよく聞いていました。戦争中のこと、捕虜に行ったときのこと、色々聞きました。
> 祖父は、夜中寝ているといきなり『タタタタタタッー!』と叫ぶことがありました。ビックリして祖父を見ると、その手はまるで鉄砲を撃っている様でした。戦争の夢を今でもみるんだな…一生消えない記憶なんだな…と幼いながらに思いました。
> 二度と尊い命が奪われないためにも、戦争は二度としてはならない!
> 語り継いでいかれなければならない記憶です!
> ノーモアヒロシマ!ノーモアナガサキ!

そうなんですか。おじいちゃん大変な思いをされたのですね。
優しくて穏やかなおじいちゃんも 心の中に仕舞われている思いがあるのですね。
今も 夢に出て来るなんて・・。
junjunさんに たくさん戦争の話をされた おじいちゃんおばあちゃん 立派だと思います。
素直に耳を傾け 自分の考えを強く持っているjunjunさんも 偉いよ。
若い人達! よろしくお願いしますね!

大魔王様

> 半ドン・・・ 良い響きですね。
> 週休2日なんか止めて 土曜を半ドンにすれば・・・
> 街が賑やかになりそう!
>
>
> 戦争・・・ 
> 本当の事を 『あらゆる思想』 を省いて・・・
> 事実だけを坦々と知る事が出来れば良いんですけど・・・
>
> 学校等で聞いてきた事と
> 全く違う事があるのかも知れませんしね♪♫

放課後の過ごし方が 替わってしまった今では 外で遊ぶ子供はあまり見当たりません。
子どもの数が めっきり少なくなったせいもあるけれど。
友達の家が離れていて このあたりでは じいちゃんばあちゃんが 車で送り迎えです。
昔は 遠くても てくてく歩いて行ったものですが・・・不審者情報なんて聞くと
やはり 大人も放っておけないのでしょう

私は 戦争の政治的背景などは まったくわかりませんが 身近な人達の
体験や思いを 忘れないようにしたいです。
傷つくのは 名もなき人達!

Re: ばーばらさんコメント有難うございます

> こんにちは。
>
> 亡くなった父は、飛行機乗りで特攻に出て、飛べなくなって帰って来れた人でした。
> 又、伯父は海軍で、シベリアにも抑留されました。
> 国を守る、父母、家族を守ると死んで行った人たちは、色々な意味で今の日本をどんな
> 思いでみるでしょうか?
> 正しい国の歴史を、学ばなければいけませんね。
>
> 「私の秘密」は、よく見ていましたよ。
> あの頃の番組は、質が高かったと思います。

余り聞いて来なかったけれど まわりにも「特攻隊の生き残り」だという人 居られますね。


私も今は BSしか見なくなりましたが あの頃の番組は 今も心に残っています。

入院中は よけいに tvの騒々しさや ワイドショーの女子アナの キャンキャン声が耐えられなくって

もうたくさんって思いです。BSは見られず ラジオも入らず インターネットもつながらず・・・

ああ時間が もったいなかった! 普段はなかなか読めない 私にとって「むずかし~い」本に

目を通す事が 一番安らぎました(笑)以外ですが!








No title

こんばんは

懐かしい小学校時代を思い出していました、

給食のおばさんがおられて、当番のときにお家からお野菜や食材を、持って行きましたわ、
土曜日は半ドンでしておばさんは朝からお休みして、宿直室裏の畑作業をしておられました。
あのころはお正月の行事にもきちんと学校へ行きましたし、目上の人に対する敬意は
きちんと教えて下さいましたから、恩師に対しても感謝は忘れず毎年年賀状をだしています。


母の兄も戦争が終わる何日か前に戦死してまして、毎年祥月命日には仏壇の前で母の父母
が思い出の品を広げ一族が供養をしていました。現在は若い者が大阪で暮らしていますので
仏壇は閉めたままでお家に入る事も適わず仏間の外から母は手を合わせています。


書き出したら切りがなくごめんなさい、もうひとつ私の父も戦争期間が何ヶ月足らなくて、
恩給がもらえず、可愛そうでした、ご近所の方たちはどなたも恩給で悠々自適の生活して
おられましたのに、父は戦争に行き両足が冷たくなる病気になりつらい仕事にも耐えて私たち
を育ててくれました、晩年二十年くらいは車椅子で母が介護をしていたのですね、
青年時代に戦争で辛く怖い体験は皆同じだと思うんですね、何ヶ月足らないくらいで、
一文も貰えないなんて残酷すぎます、なんだかとりとめのないことでお邪魔しました。

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こんにちは!

 いろいろと、感想は有りますが、
始めて見ました、のっぺらぼうの黒い電話!不思議です。
あるべき場所に、あるはずの物が無い!なので、
余計に じっと見てしまいます。
 もちろん、今時の方は、黒い電話だって、
見たことがないと思いますが・・・・・。
 これより、古いものは映画とかに出てきますよね、
壁についてて、受話器が横についてる分です。
 

No title

ご無沙汰しています。忙しいのはいけませんね。
先日父の四十九日を無事すませ、日本から戻ってきたら今度は出張で、、、。

私が子供の頃はまだ、半ドンでしたね。高校生から週休が2日にかわり、、、そのころまだ父はずっと半ドンでしたね。

父が整理しようとしていた書棚から、祖父と台湾沖で戦死した大叔父の写真やら赤紙やら祖父についての復員局と祖母のやりとりなどが出てきて、、、、今、生をつないで、息子にバトンタッチの段階に入った自分の生を考えることが増えました。

ふと、近況報告です。今はまた出張の空の下。

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ゆうかさん

>  いろいろと、感想は有りますが、
> 始めて見ました、のっぺらぼうの黒い電話!不思議です。
> あるべき場所に、あるはずの物が無い!なので、
> 余計に じっと見てしまいます。
>  もちろん、今時の方は、黒い電話だって、
> 見たことがないと思いますが・・・・・。
>  これより、古いものは映画とかに出てきますよね、
> 壁についてて、受話器が横についてる分です。
>  
壁掛け電話は 配給所にありました。我が家には2つ電話機が有ったわけで 同じ16番で
配給所が甲 家が乙でした。配給所に掛ける時は 交換手に「甲お願いします」と頼んでいました。
とぼけたロボットの顔の様な木製の壁掛け電話が 懐かしいです。

TORUさん遥かアメリカより有難うございます

> ご無沙汰しています。忙しいのはいけませんね。
> 先日父の四十九日を無事すませ、日本から戻ってきたら今度は出張で、、、。
>
> 私が子供の頃はまだ、半ドンでしたね。高校生から週休が2日にかわり、、、そのころまだ父はずっと半ドンでしたね。
>
> 父が整理しようとしていた書棚から、祖父と台湾沖で戦死した大叔父の写真やら赤紙やら祖父についての復員局と祖母のやりとりなどが出てきて、、、、今、生をつないで、息子にバトンタッチの段階に入った自分の生を考えることが増えました。
>
> ふと、近況報告です。今はまた出張の空の下。

TORUさん心配しておりました。お疲れなんですよ 無理もありません。
お父様や 叔父様の 写真をご覧になって 御自分の事に思いを馳せられる・・一歩踏み出されたのですね。
ぜひ お写真を子供さんに見せてあげて 一杯お話ししてあげてください。
年齢が小さければ 小さい程良いです。折に触れて語ってあげてください。
日本の最近の風潮として 個人の自立とか個人の自由なんて言われるけれど そんなに個人って都合よく
自立できるものでもなく 誰しも支えになるものを無意識にでも 感じているのだと思います。
それは 育だった家庭さらに会ったことのない先祖・・自分の肖像があるなら 背景が必要でしょうって・・・
私が 明治の写真を 引っ張り出して眺め思う事です。
色々な事が有ったのだろうけど・・・そんなことも時とともに昇華され・・古い写真はある種の安らぎを与えてくれます。人生ってこんなんだって 思えて来ます。

いっぱい思いをぶつけてしまって ごめんなさいね!
返信遅くなってしまって・・実は ブログが最近トラブル続きで 返信できない状態になっていました。
あるブログの方に 教えて貰ってやっと解決できました。感謝でいっぱいです!


 

No title

こちらは、季節はずれの寒さですが、そちらはいかがですか?
これも、異常気象なのでしょうか?

本の表紙は、小暮三千代と芦川いづみさんだったかしらね。懐かしく・・・。

No title

お体の具合はその後どうでしょうか?
そろばんの上の写真のディスプレイの仕方など、相変わらずステキですねe-446

土曜は半ドンですよね〜!(笑)
そうそうあの学校から帰る時の解放感がたまらんかった〜!e-350
ワタシの小学生時代は、土曜日のお昼は吉本系の番組を見ながら、チキンラーメンやカップヌードル、出前一丁、UFOあたりを食べるというのが定番でした(笑) 

Re: ばーばらさん コメントありがとうございます

> こちらは、季節はずれの寒さですが、そちらはいかがですか?
> これも、異常気象なのでしょうか?
>
> 本の表紙は、小暮三千代と芦川いづみさんだったかしらね。懐かしく・・・

こちらも さわやかですが 寒いです。太陽活動の異常が 前から言われていますが 
小氷期に向かっているなんて・・もしそうだとすれば 温暖化よりやっかいなのでは?
当たり前のことが 当たり前でなくなっていますよねえ。

女優さんの名前よく覚えていらっしゃいますね。
あの頃は良い時代だったのか・・・いやいや 過ぎ去った物は
皆  昇華されて・・・と言う事なのですね。 

Re: マサナビイさん有難うございます

> お体の具合はその後どうでしょうか?
> そろばんの上の写真のディスプレイの仕方など、相変わらずステキですねe-446
>
> 土曜は半ドンですよね〜!(笑)
> そうそうあの学校から帰る時の解放感がたまらんかった〜!e-350
> ワタシの小学生時代は、土曜日のお昼は吉本系の番組を見ながら、チキンラーメンやカップヌードル、出前一丁、UFOあたりを食べるというのが定番でした(笑) 

以外に元気なのですよ。 
小学校の頃 UFOたべてたのですか・・・うーん・・わたくしより・・ずいぶんお若い
インスタントラーメン長い事口にしてなかったのですが・・・
最近 薬の副作用で(?)おいしく感じるようになりました。(笑)

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半ドン

 確かに、半ドンの土曜日は、ワクワクしました。
帰り道、いつもより長く遊べるから、何をするか話しながら歩き、
分かれ道で、約束して帰宅。
 お昼は、お決まりの花月/吉本新喜劇を見ながら、
私は、ボンカレーや、クジラ肉のおかずを食べてました。
クジラ肉は、安くて、ごく普通の食材でした。
我が家より、給食の竜田揚げのほうが美味しかったです。
 今では、時々、お惣菜のコーナーで見かけるのですが、
食べてみたいような、でも もうあの味ではないようで・・・
買っていませんね。
 

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Re: wakasaママさんありがとうございます

> こんばんは
>
> 懐かしい小学校時代を思い出していました、
>
> 給食のおばさんがおられて、当番のときにお家からお野菜や食材を、持って行きましたわ、
> 土曜日は半ドンでしておばさんは朝からお休みして、宿直室裏の畑作業をしておられました。
> あのころはお正月の行事にもきちんと学校へ行きましたし、目上の人に対する敬意は
> きちんと教えて下さいましたから、恩師に対しても感謝は忘れず毎年年賀状をだしています。
>
>
> 母の兄も戦争が終わる何日か前に戦死してまして、毎年祥月命日には仏壇の前で母の父母
> が思い出の品を広げ一族が供養をしていました。現在は若い者が大阪で暮らしていますので
> 仏壇は閉めたままでお家に入る事も適わず仏間の外から母は手を合わせています。
>
>
> 書き出したら切りがなくごめんなさい、もうひとつ私の父も戦争期間が何ヶ月足らなくて、
> 恩給がもらえず、可愛そうでした、ご近所の方たちはどなたも恩給で悠々自適の生活して
> おられましたのに、父は戦争に行き両足が冷たくなる病気になりつらい仕事にも耐えて私たち
> を育ててくれました、晩年二十年くらいは車椅子で母が介護をしていたのですね、
> 青年時代に戦争で辛く怖い体験は皆同じだと思うんですね、何ヶ月足らないくらいで、
> 一文も貰えないなんて残酷すぎます、なんだかとりとめのないことでお邪魔しました。

お父さま 苦労されたのですね。 切ないですね。
戦場での 体験は 其処に身を置いた者でなければ 解らないと思います。
私の周りにも 戦地で戦った多くの人達が 居られたにも関わらず 余りお話しを聞いた記憶が有りません。
28年生まれの私が 小学校に通っていた頃は 過去を振り返るより 未来に向かって突き進んでいった
時代だったからかもしれません。

こうして wakasaママさんのお父さまの お話しが 聞けて
戦争のむごさを より身近に感じることが出来ました。

やはり伝える事は とても大切だと思います。

文面から wakasaママのお家は とても暖かい家族だったのだなあって思いました。 遠い先祖や
亡くなった人々を 思い出して語り継ぐ・・・それが一番の供養だと・・最近おもうのです。

  

Re: ゆうかさん有難うございます。

>  確かに、半ドンの土曜日は、ワクワクしました。
> 帰り道、いつもより長く遊べるから、何をするか話しながら歩き、
> 分かれ道で、約束して帰宅。
>  お昼は、お決まりの花月/吉本新喜劇を見ながら、
> 私は、ボンカレーや、クジラ肉のおかずを食べてました。
> クジラ肉は、安くて、ごく普通の食材でした。
> 我が家より、給食の竜田揚げのほうが美味しかったです。
>  今では、時々、お惣菜のコーナーで見かけるのですが、
> 食べてみたいような、でも もうあの味ではないようで・・・
> 買っていませんね。
>  
 半ドンを体験した世代の人は 皆わくわくしていたんですね。
クジラ肉 肉嫌いの私には唯一の 好物でした。
竜田揚げが やはり好きでした。
吉本新喜劇を見ていたのは 私の高校生の頃です。

No title

こんばんは。その後、おかげんいかがですか。なんだか年々季節感がずれていくような気候が続いています、ご自愛ください。

Re: TORUさん 遥かアメリカよりありがとうございます

> こんばんは。その後、おかげんいかがですか。なんだか年々季節感がずれていくような気候が続いています、ご自愛ください。

訪問ありがとうございます。 お返事が遅くなりごめんなさい。
割合元気に過ごしています。 TORUさんこそ激務が続き大変でしょう。私が言うのも変ですが・・
ご自分を大切に! まだ子育て中ならなおさらです。
ブログ更新なしで1か月経ち とうとうスポンサー広告が・・
書きたい記事が色々あるのですが・・パソコン立ち上げると・・どうも検索に手が伸びてしまって
ネットサーフィンですね(笑)
今気がかりなことをネ・・次から次へと、、
でも もうそろそろ 更新します。
情報が手に入ることは 便利だけれど 迷いが生じまた次にと・・・きりが有りません。

No title

こんばんは! 思いがけなく、呉市の大和ミュージアムで「回天」の実物を見られた、とあったので、あれこれ思い出しました。 
私がまだ広島にいるころに見学したのは多分海軍兵学校の博物館だったと思いますが、若い彼らのしっかりした筆跡の遺書を読みながら、涙が止まらなくなった事を思い出しました。
単に戦争が良い悪いではなく、国の為、自分の愛する人の為、と思いつつ、死に向かって行った彼らを思うと、自分の生きざまを振り返り、こうして平和に生きていける事の有難さを、感謝の念と共に思います。

思い出を下さって、有難うございました。

Re: sinkaiさん 遥かイタリアより いらっしゃいませ。 

> こんばんは! 思いがけなく、呉市の大和ミュージアムで「回天」の実物を見られた、とあったので、あれこれ思い出しました。 
> 私がまだ広島にいるころに見学したのは多分海軍兵学校の博物館だったと思いますが、若い彼らのしっかりした筆跡の遺書を読みながら、涙が止まらなくなった事を思い出しました。
> 単に戦争が良い悪いではなく、国の為、自分の愛する人の為、と思いつつ、死に向かって行った彼らを思うと、自分の生きざまを振り返り、こうして平和に生きていける事の有難さを、感謝の念と共に思います。
>
> 思い出を下さって、有難うございました。


本当に・・ 私も同感です。

戦争を 始めるのは おエライ方々・・・

一番傷つくのは 名もなき多くの人です。

気が付いたら まわりに戦争を語れる人達が 

わずかしかいなくなっていて・・・

残念です。
 
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